■品種名 山内
■生産地 横手市山内
■時 期 10月~12月(一部越冬して春先まで)
横手市山内地域は、奥羽山脈に囲まれた山間地の豪雪地帯です。耕地が少ないため、明治から昭和初期には養蚕や炭焼きが盛んで、それが衰退した後は果樹や野菜を栽培し、横手市内に販売して生計を立ててきました。
また、冬期間には男衆が若勢(わかぜ)として湯沢や大曲をはじめ県内や全国の酒蔵に出稼ぎに出ておりました。藩政時代から昭和初期まで「山内の若勢市」という全国にも珍しい、若者が自らを雇い主に売り込むという市が行われておりました。
「おめ、何年生まれだ。」
「俺のどごさ来るが。」
「へば何ぼける(くれる)。」
という具合に親方とのやりとりがあり、すぐその場から県内や全国に出かけていくという交渉の場でした。
厳しい環境でも真面目で辛抱強く働く山内の若勢たちは、特に酒蔵で活躍し、徐々に山内の酒蔵若勢としてその名が知れ渡り、のちに山内杜氏と言われるプロの酒造集団になっていったのです。娘たちに「若勢に行かない人には嫁に行かない」と言われるほど、若勢はある種の人生修行、ステータスとも言えるものだったようです。
大正13年の記録では、山内地域の成人男性の1割が出稼ぎに出ており、またその8割が酒蔵とあります。集落によっては、男性たちが組になって酒造りに行ったところもありました。今はこの若勢も市もありませんが、実直で研究熱心な山内杜氏やその流れを組む蔵人たちが、秋田の銘酒を造り出し、秋田の醸造業を支えています。
酒蔵で働く男たちは、自分の家の稲刈りが終わると早々に蔵に赴きます。多くが遠方での泊まり込みで、中には一年中酒蔵で暮らす人もいて、残された農作業や山作業は女たちや年配者の仕事になりました。そのため自然に秋から越冬の野菜栽培は女性たちによって育まれてきたのです。このにんじんは、重要な換金作物でした。そして雪深い里の冬の食生活にとっても大切な野菜だったことでしょう。
昭和27年に農業改良普及員の佐藤周市氏が記録した山内太人参の来歴には次のように書かれています。
「女性が農作業に関心が深い村である。研究心も旺盛で越冬蔬菜の花形として人参栽培を試み販売されていたが、当時はたいした品質はなかったけれども売れ行きがよいのでだんだん面積も増えて知らず知らずの中に人参は重要作物の一つの位置を占めてきた。土壌や気候が人参栽培に適しているのか気軽に誰でも作れるところに「山内太人参」なるものを作り出す熱意と努力が惜しみなく払われてきたものであろう」
山内にんじんの影に、山内の歴史と女たちの努力があったことを、この一文は語っています。
にんじんの栽培面積が増加していく中で、札幌太人参を母本にとして個体選抜が行われました。その中から昭和22~23年に優良系統が見つかり「山内にんじん」と命名されました。昭和25年には山内にんじん採種組合が結成され、種子生産の能率向上と優良種子普及に取り組み、種苗交換会にも熱心に出品して品質向上を図ってきました。
その種苗交換会で山内にんじんを見た愛知の種苗会社が、直接種子の買い付けに訪れ 種子の出荷が始まりました。昭和30年頃から昭和50年まで多い時で3石(540リットル)の種子が、あいのの駅から出荷されたとのことです。当時を知る人は、季節になると、にんじんの白い花が一斉に山内の集落中に広がっていたと語ります。山内にんじんの郷は山内にんじんの“種の里”でもありました。
しかし、50年以降は栽培しやすく小ぶりで使いやすく香りの少ない短根にんじんが市場に出回り、山内にんじんもその種も徐々に栽培者を失っていき、わずかに自家用栽培を残すだけになってしまったのです。
平成17年、山内にんじんが県の伝統野菜に選定されました。しかし、現場では、自家採取での山内にんじん生産者が激減。種苗会社が市販するの山内系の種で栽培している人が数人いましたが、かつての山内にんじんとは形質が異なっていました。
そこで横手市山内地域局を中心に、山内の伝統資源を守ろうと山内にんじん復活のための活動がスタートしました。わずかに2戸に残された在来の種が県農業試験場に持ち込まれ、本来の山内にんじんに戻すための系統選抜が行われたのです。
その種は、ふたたび山内に戻され、平成19年には山内三又営農生産組合を中心に地域での本格栽培が始まり、平成22年には60人もの栽培者が品評会に出展するまでに増えました。そして平成25年山内にんじん生産者の会が組織され、種の保存と生産拡大、販路開拓に向けて動き始めています。
山内にんじんは、県内の量販店、小売店、飲食店でも徐々に取り扱いが始まっています。特に道の駅さんない「農香庵」、あいのの温泉直売所「山菜恵ちゃん」には生のにんじんや加工品が並びます。
生のにんじんが確実に入手できるのは10月~12月までです。後は越冬などがが3月まで時々出てきます。
山内にんじんの特徴は、長さが30センチほどで肩が張ったように肥大するその大きさ、太さです。濃い橙色で芯まで赤く、肉質は締まって硬く、甘み香りが強いことです。
生産者にこの人参の食べ方を伺うと「味噌漬け」「生ですり下ろして」という答えが返ってきます。それほど、山内人参は、生でも香り良く甘みを感じます。煮崩れしにくいため煮物にも向きます。
株式会社 味香り戦略研究所調査によると、熱を加えた時に濃厚な甘みが引き出せるという大きな特徴があり、他の人参と比較しても特筆すべきと評価されています。油との相性もよく、にんじんの色素であるカロテンは油脂と一緒に摂取することで吸収率が上がるため、揚げ物やグラッセ、きんぴらなども奨められる料理方法です。
また、山内地域はいぶりがっこ(漬け物)の発祥地とも云われ、多くの農家が自家用や販売用にいぶり大根を漬けています。このいぶり漬けに山内にんじんは相性が良く、その歯触りと香りを活かして商品化が実現しています。
こちらも参考にしてください。 秋田の伝統野菜(食の国あきたネット)「山内にんじん」
※参考文献
T&A味トレンドレポート09年4月(株式会社 味香り戦略研究所調査)
地方野菜大全(タキイ種苗株式会社編)
農業秋田昭和28年2月号
山内村史
山内太人参に就いて(昭和27年8月佐藤周市氏調査記録)
秋田魁新報夕刊の記事(昭和7年(1932年)11月30日)