■品種名 横沢
■生産地 大仙市太田横沢
■時 期 10月~11月
大仙市太田の横沢地域は、羽州街道沿いにある村で、角館の殿様の参勤交代の本陣(滞在地)が置かれたという歴史があります。文献はありませんが、言い伝えによれば、久保田藩主佐竹氏の御狩場でもあったことから、狩りに訪れた佐竹家(本家)が、本陣となっていた倉田家に立ち寄った際、その家の親方の接待があまりによかったことから、そのお礼として元の領地である水戸で栽培されているネギを伝授したとされています。また角館の佐竹北家の殿様も好み、常々この曲がりねぎが食前に供されたとも伝えられています。
江戸時代の紀行家・菅江真澄も横沢の倉田家に立ち寄り、紀行文の「月出羽地しらはた清水しみず」に横沢ねふか(根深)として、次のとおり書き残しています。
「ねぶかは、近き金沢の産にも、ささ劣らず。ことに横沢ねふかとていと多く産生(イダ)せり、味甜(ウマ)し 」
※また、真澄のこの紀行文には横沢のごぼうについて松前や津軽のごぼうに勝ると記しています。残念なことに、この横沢ごぼうはすでに途絶えてしまいました。
横沢曲がりねぎは、明治30年頃から大正初期にかけて盛んに栽培され、一時は50戸の農家で栽培されていました。その後も継承され昭和54年には生産部会が発足、平成3年には20戸で150 aを栽培し、JAを通じて県内の量販店でも販売してきました。しかし、曲がっている形質と柔らかい特性のため棚持ちが悪いとして徐々に一般には出回らなくなっていきました。しかも、栽培に普通のネギより、倍の手間も時間もかかることから生産者は激減し、現在は数人の生産者が直売やインターネット通販など限定的な販売をするに止まっています。
それでも、このネギを好み、通販や直売を心待ちにしている熱烈なファンもおり、それを励みに生産を続けている数戸の農家によって販売されています。また、販売農家は減少していますが、特に横沢の泥窪集落などでは、多くの家庭が自給用に栽培しています。やはり地域にとってなくてはならない横沢曲がりねぎです。
現在は、生産者の倉田雅章さんのご自宅での直売か通信販売、横沢地区にある太田農業振興情報センターにある直売所(アンテナショップ)で販売しています。
写真左 倉田さん夫妻 倉田家に伝わる種を守り続けています。
写真右 地域の直売所などに出荷している横沢の女性たち。後方が横沢曲がりねぎの畑です。
横沢曲がりねぎは、柔らかくて香り成分のアリシン含量が通常のネギより多く、独特のぬめりと香りがあることが特徴です。さらに普通のネギは1年で収穫されますが、播種から収穫までじっくりと2年余りをかけ、途中植え替えて「ねせる」ことで、より柔らかく、より風味が増します。
栽培の手順
【1年目】
4月下旬から5月上旬に露地の苗床に播種
5月上旬に掘り上げ、畑に移植し株を養成
【2年目】
5月上旬に本畑に定植、
数回の土寄せで白ネギ部分を育てる
8月下旬~9月上旬に掘起こして寝かせ土を覆う
10月中旬~11月収穫
この手間のかかる管理によって、夏の堅い葉が朽ちて柔らかい新葉が伸び、 白ネギは土中で曲がって風味を増します。細身で柔らかく、青い部分の先まで食べられ、白ネギを好む秋田では珍しい、青ネギ、白ネギの両方の良さを併せ持つネギとなるのです。生は辛みが強く薬味にも適します。また、煮たり焼いたりと火を通すと柔らかく甘味を強く感じるようになります。 鍋物、焼き物、炒め物、薬味などどの料理に合います。
こちらもご覧ください。県あきた食の国ネット 秋田の伝統野菜-横沢曲がりねぎ
参考文献 菅江真澄全集第八巻
太田町史
地方野菜大全(タキイ種苗編)